Buleria-1

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ベルサのCDで、ニーニョ・ヘロが弾いてたファルセータですが、彼のオリジナルかどうかは分かりません。

なかなか好きなファルセータかな?

ポコ ロコ

Barrio de San Telmoアントニオ・ヘロに習い始めて約1月経った頃、アントニオから指を怪我したので、レッスン出来なくなったと連絡ありました。

真相は未だに不明ですが、お兄様のペリキンことニーニョ・ヘロ様に刺されたらしい。

体にナイフが向かってきたので、手で受けるしかなかったとのこと。

このことを語学学校の校長先生のマリアに話したら、僕がペリキンに習ってると勘違いされたみたいで、「彼のムンド(世界)には近づくな!」と言われました。

「ポコ ロコですからね(笑)」と堀健。

「ロコにポコとか付く訳ないやろ!」とマリア。

有難うございました。

マヌエル・ボリーコ

Manuel Borricoヘレス在住のIさんから、「ボリーコの息子がペーニャで唄うので、行きませんか?」とのお誘いが。

はて?ボリーコの息子?

ボリーコに息子が居てもおかしくは無いはずなんやけど、息子がおったとは知らんかった。

Iさん曰く、「例えば、シギリージャで唄い始めたと思ったら、途中からソレアになったりするので、ちょっと心配。。」とのこと。

どうも、人前で唄うのは初めてだったっぽいです。

 

当然ながら、ボリーコの息子なんで、60歳前後のおじさんでした。

伴奏はニーニョ・ヘロ。あのニーニョ・ヘロがマヌエルに軽く扱われているっぽいのが、なんか面白かった。

1部が終わり、休憩挟んだ2部。最初マヌエルがステージに上がってきましたが、伴奏のニーニョ・ヘロがステージに上がろうとしたら、

「もう、お前のギターはいらん!」みたいなことをマヌエルが仰られました(笑)

2部は確かギター無しだったと思います。

ヘレスで観た初ペーニャが、このマヌエル・ボリーコだったので、かなり衝撃を受けたなあ。

 

彼には唯一1枚だけソロ・アルバムがあります。

そのアルバム作成に携わったIさん、「アルバム作るときに、ずっと一緒に居たにも関わらず、後日、道端でマヌエルに会うと、「お前の妹のことは知ってるけど、お前(Iさん)のことは知らん!」と言われたそうです(笑)

そのペーニャの後、度々道端でマヌエルを見ていたのですが、しばらくしてから全然見なくなりました。

風の噂では、プエルト辺りの町で見たとか聞きましたが、彼は今現在どうしてるのかな?

あんだけ、いいカンテ唄うのに、もし亡くなったとしても、まったくニュースにもならんだろうなあ。

あ、今、思い出したけど、CDのギャラをなかなか受け取ってくれなくて、困ったとIさんが言ってたような。