タクシーに乗っていて、ここを通る度に、何でこがん名前が付いたんやろか?っていつも考えています。
吉塚通りを、ちょっと裏に入ると、昔は堀だったのを埋め立てた様な規則的な細い路地がたくさん有ります。
まさか、大坂商人の「安井道頓」が博多に堀を掘りに来たんやろか?って思ったばってん、あの時代では、そがん事は無理やろうなあって思ってました。
最近、博多区神屋町の名前の由来となった「神屋宗湛」の事について読んでいたら、豊臣秀吉に気に入られて栄華を極めていたらしか。
「安井道頓」も「神屋宗湛」も同世代で、同じように秀吉に気に入られてるし、商人繋がりだし、交流が何かしら有ったとみるのが自然だろうなあと推測。
これはあくまでも僕の推測だけど、神屋が安井の指導を受けて、吉塚に堀を造ったんじゃないかなーと思います。
そんで、道頓堀って名前が残ったんじゃないかなー(笑)
適当な事を想像するのは楽しい。