アントニオ・ヘロ

JEREZ アントニオ・ヘロの個人レッスン、1時間30ユーロで受け始めて3週間位経ったある日のこと、アントニオが「レッスン代は15ユーロか20ユーロにするので、たくさんレッスン受けて、はよー吸収せんね。」と言ってきました。

理由は、「もう友達だから」とのこと。

半額の15ユーロは悪いので、20ユーロにしてもらった代わりに、レッスンの回数を増やしてもらいました。

ほんなごて、アントニオはいいやつです。あ、すいません良か先生です。

だいたいレッスンは昼12時からにしてたんやけど、アントニオが朝ごはん食べてるときがあって、たまにごちそうになってました。

ある日のこと、冷たい牛乳に黒い粉(ミロみたいなやつ)を入れていたので、「それはココアか?」と言うつもりが「それはコカか?」と言ってしまいました。(笑)

笑いながら否定していました。

家に帰って辞書で調べて冷や汗。。

アントニオのお兄様なら、刺されてたでしょう。

 

語学学校

Begoña駅前留学やNHKテレビ講座で、スペイン語の勉強をやってきたので、それなりに話せるつもりでスペインに来たのだが、ほとんど話せないので絶望ぎみになりました。

ということで、友達の紹介で、4週間の予定でスペイン語教室に通うことにしました。(結局、約8週間行きました。)

個人レッスンではなく、クラスレッスンを受けることにしました。

これは校長先生からのアドバイスで(笑)、時期的に生徒があまりいないので、クラスレッスンが、個人レッスンみたいになるからとのこと。

実際、ほとんどがマンツーマンの個人レッスンになりました。

写真は先生の一人であった「ベゴーニャ先生」。

スペイン語話せないのに、スペイン語でスペイン語を習うという苦労をしました。今思えば先生は大変だったろうなあ。

日本語話せないスペイン人に、日本語で日本語教えることは、私には出来んばい。

 

蚤の市

rastroスペイン各地というか、ヨーロッパでは蚤の市が、ある期間の間、週1のペースで行われています。

ヘレスでは、サン・マテオ教会の前の広場、「Plaza del Mercado」で行われてました。(パリージャのタブラオの前の広場ですね。)

家から歩いて5分位のとこやったけん、何回か行きました。

ほんなごて、何でもありって言うのが蚤の市で、子供がミニカーを綺麗に並べてたのは良いほうで、なかには本当の意味でのガラクタを適当に置いてあるだけで、良く見たら「何かの集合写真」とか置いてありました。

ほんなごて、いい加減というか大らかな国だなーと思ったのでした。

rastrorastro

 

 

 

 

 

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マカニータの兄ちゃん

Hermano de Macanita, Antonio Jero

アントニオのレッスン当初、まだスペイン語がしゃべれない僕のために、英語でアントニオが話してくれてました。

アントニオ「ア、アンジュ スタン?」

「?」

アントニオ「ア、アンジュ スタン?」

もしかして、「Understand」のこと?
なんでもロタで水兵をやってたときに、英語を覚えたとか言われてました。
ばってん、かえって何言いよるか分からんやったけん、スペイン語で話してもらうようにしました。

また、ある日のアントニオのレッスン中で、
「明日、トマサが来るばい!(私にはそう聞こえた。)」

早くも本命のマカニータと御対面出来るのかーと、興奮しながら次の日のレッスンに行ったんやけど、写真のような、男装したマカニータさんが来られました。

私を見るなり、いきなりホッペタにブチューとされて、そんなものかと思っていたのだが、男同士の初対面でそこまではせんらしか。

また、アントニオが「レッスン中なんで、ちょっと待ってくれ」と言ってるにもかかわらず、僕の肩に手を置いてファンダンゴを唄ってくれました。

それにしても面白い顔(すんません)で笑いが止まらんかったなあ。

 

マヌエル・ボリーコ

Manuel Borricoヘレス在住のIさんから、「ボリーコの息子がペーニャで唄うので、行きませんか?」とのお誘いが。

はて?ボリーコの息子?

ボリーコに息子が居てもおかしくは無いはずなんやけど、息子がおったとは知らんかった。

Iさん曰く、「例えば、シギリージャで唄い始めたと思ったら、途中からソレアになったりするので、ちょっと心配。。」とのこと。

どうも、人前で唄うのは初めてだったっぽいです。

 

当然ながら、ボリーコの息子なんで、60歳前後のおじさんでした。

伴奏はニーニョ・ヘロ。あのニーニョ・ヘロがマヌエルに軽く扱われているっぽいのが、なんか面白かった。

1部が終わり、休憩挟んだ2部。最初マヌエルがステージに上がってきましたが、伴奏のニーニョ・ヘロがステージに上がろうとしたら、

「もう、お前のギターはいらん!」みたいなことをマヌエルが仰られました(笑)

2部は確かギター無しだったと思います。

ヘレスで観た初ペーニャが、このマヌエル・ボリーコだったので、かなり衝撃を受けたなあ。

 

彼には唯一1枚だけソロ・アルバムがあります。

そのアルバム作成に携わったIさん、「アルバム作るときに、ずっと一緒に居たにも関わらず、後日、道端でマヌエルに会うと、「お前の妹のことは知ってるけど、お前(Iさん)のことは知らん!」と言われたそうです(笑)

そのペーニャの後、度々道端でマヌエルを見ていたのですが、しばらくしてから全然見なくなりました。

風の噂では、プエルト辺りの町で見たとか聞きましたが、彼は今現在どうしてるのかな?

あんだけ、いいカンテ唄うのに、もし亡くなったとしても、まったくニュースにもならんだろうなあ。

あ、今、思い出したけど、CDのギャラをなかなか受け取ってくれなくて、困ったとIさんが言ってたような。